P.A.Press
2003.11.12

第1回 神山健治「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 監督 過激なインタビュー」

神山健治
1966年3月20日生まれ。
高校在学中から自主アニメーションの制作を始める。
埼玉県秩父農工高等学校食品科学課卒業後も自主アニメーションの制作を続け、1985年スタジオ風雅に入社。
劇場作品「AKIRA」「魔女の宅急便」等に背景として参加。1996年、プロダクションI.Gにて押井守が主催した押井塾に参加。同時期に劇場作品「人狼」演出「BLOOD」脚本、「ミニパト」監督と着実に実績を積み上げ、TV「攻殻機動 STAND ALONE COMPLEX」,「攻殻機動隊S.A.C. 2nd GIG」を監督。

 今から4年前の’00年、神山さんが有志数名とオリジナル企画「エグザスケルトン」を立ち上げていると聞いたとき、その行動がプロダクションI.G内で起爆剤になるんじゃないかと思った。I.Gグループが抱えるクリエーターは当時100人を超えていた。彼らに対して神山さんはクリエーターの姿勢はこうあるべきだと、「挑発」に出たんじゃないか。『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』DVDの巻末インタビューを見ると、どこまでもクールなように見えるが、スイッチが入ると巻き舌になる熱血漢だから。今回はそのあたりを聞いてみた。

プロダクションとクリエーターは対だと思う

僕らは宿場町の雇われ用心棒じゃないんだからさ

I.Gには世界に通用するクリエーターが腕を振るうステージが用意されている。スケジュール、バジェットに恵まれた企画のオファーも多い。制作態勢も整っている。腕に覚えのある剣客が大勢集まってくる。神山さんは当時I.Gに限らず、プロダクションに席を置く力のあるクリエーター全般を覆っていた制作姿勢に疑問を感じていたようだ。「俺に何を食わしてくれるんだって云うね、姿勢が客人ぽくっていやだった。そういう人達が優遇されていたいい時代もある。でも、僕らは宿場町の雇われ用心棒じゃないんだからさ。」さらに、クリエーターが目指していた作品の方向性にも懐疑的だった。「商売とは直結しそうになく、クリエーター個人のプロモーションにはなるかもしれないけれど、制作会社の汗を流すスタッフにとってはあまり得るものがなさそうに思える物が多いように感じられた。この作品をやれれば制作会社が疲弊しようが知ったことじゃないということで作品を作ったけれど、得をした人が少ないというようなことが多かったんじゃないかな。僕はそういうことじゃないと思った。」さらに、神山さんが強く危機感を抱いていたのは、当時のI.Gの経営状況を知っていたからでもある。

こんな時こそ僕らが立ち上がろうぜ

当時I.Gはゲーム制作の「金銭面のブラックボックス」が経営を圧迫し、石川社長はグループの統合再編に取り組んでいる真っ最中だった。押井守監督もI.Gを「留守にしていた」。「(I.Gの)状況もどこ吹く風で、安心して腰を下ろしている。口を開けて待っているクリエーターはいっぱいいた。しかも、力があってね。」

神山さんがI.Gに席を置いて間もない’96年にI.G内部で始められた企画セミナー「押井塾」。「人狼」の演出業務と平行して、毎週1本オリジナルの企画書を提出しプレゼンテーションするというハードなものだったが、「そういう形でチャンスをくれた石川社長や、師匠である押井監督に対して恩返し、というようなことはできないかもしれないけれど、僕らから何か提示しようと。それはやる気のある人間だけでやればいい。何かこういう時こそ、こんな時こそ僕らから立ち上がろうぜと。」

モチベーションがあることはクリエーターにとって当然のこと。それが無いヤツは作る必要が無いと言い切る。「それを作る上でどうアクションを起こすか」であると。有志によるオリジナル企画の立ち上げは、自分にやりたいことがある、という「大前提」のモチベーションと、「プロダクションとクリエーターは対だと思う。どちらか片方が得をすればいいというものではない。」という神山さんの考えから起こしたアクションだった。

「(他のクリエーターを)挑発してやろうという意識があった訳ではないけれど、たぶんどっかで、じゃあ、そういう人達は置いてっちゃえっていうかね、安心して腰を下ろしている間に僕らは先に行けばいいじゃないか、本当にやる気があるやつは先に進もうと、そういう気持ちでした」

理想の現場を先に作ろうという意識はないんですよ。

監督の求めるものをよく理解し、具現化することができる“チーム”は、一、二度スタッフとして参加したからできると云うものではない。神山さんはI.Gで理想とする現場、「チーム神山」作りにも着手したのか聞いてみました。

「期間限定 攻殻機動隊制作中の座右の銘は?」
「『諦めの悪さがプロにとっての最大の武器である』 ってところかな。」

神山:「よく、“黒澤組”とか“押井組”っていう話がでるじゃない。ずっと僕が一貫して言い続けているのは、作品を作るよりも’黒澤組’を作る方が難しいんだっていう話ね。もちろん’黒澤組’があったから黒澤監督のああいった作品が出来たというのも事実だと思う。だけど、あれは良い作品を作りつづけることによって出来た副産物だと思う。だから理想の現場を先に作ろうという意識はないんですよ。それを優先させたら、そこにはきっと別の軋轢ができると思うから。それよりは、作品を作ることに集中しているうちに地盤が固まってくればよし、だめでもよし。むしろスタッフに、この作品に参加する価値みたいなものを監督が提示していくことが大事だと考えてたね。」

そこは結構ぬるま湯だからさ

神山さんの意思に賛同して参画したスタッフだが、いざ企画を具体化する段階に入ると、その取り組む姿勢も様々。モチベーションはあっても目標に向かっていない。オリジナル企画の立ち上げに参加しているその行為自体に満足してしまっているんじゃないか。そのモラトリアムな姿勢の理由を神山さんは、 「前に進みたいと言っている割にそこに居たいんだよね。今は状況がよくないと言われていながら、そこは結構ぬるま湯だからさ。何かやって失敗するよりはそこに居る方が得なんだよ。」と語る。さらに、「状況に対してあまりにシニカル」な者は脱落させた。「オリジナル企画をやっていくことは、それなりの覚悟がいること。自分がこんな作品を作りたい、だけじゃ企画の根拠にはならないとおもうんですよ。」 

こうして練り上げられたオリジナル企画は3年前に石川社長に提出された。「提出した段階で、石川さんからは攻殻機動隊のTVシリーズという企画はどうかって振られたんだよね、逆に。」 

僕は即答で攻殻機動隊をやります、と答えたんだ

オリジナル企画「エグザスケルトン」に対し、「攻殻機動隊TVシリーズ」の企画を逆提案した石川社長。神山さんと、今まで企画に参画してきたメンバーはこの提案をどう受け止めたのかを聞かせてもらいました。

 
「野球に例えると、「攻殻機動隊」はどんな試合に臨だのか?」 
「 試合にたとえるなら初めてシーズン最初から一軍登録された新人投手として長いペナントレースをどう投げぬくか、といったもの。 
  つまりペナントレースです。 」

神山:「その時に僕は即答で攻殻機動隊をやります、と答えたんだけど、それには二つ理由があって、一つはどう考えてもそちらの方が早く決まるから。それはそのタイミングの僕にとっても良かったことだし、プロダクションI.Gにとっても良い企画だったと思う。そう判断したから。」 

まずやらなければならなかったのは、企画「エグザスケルトン」に賛同してくれたメンバーをどう説得するか、また、「攻殻機動隊TV」制作に参加してくれるプロダクションI.Gのスタッフを、どう巻き込んでいくかということだった。高い質を求める「攻殻機動隊」を、テレビシリーズの物量とスケジュールでこの時期に制作して勝機を見つけられるか、という不安と疑問が最初は少なからずスタッフにもあったからだ。「なぜ提出した企画じゃなくて攻殻機動隊をやるべきなのか、ということをみんなにも理解してもらう必要があった。目的がそこにあることで集まることはあっても、ワイワイやりたい仲間がそこに集まったからやりたいことができるのではないんだ、ということを現場のスタッフにちょっと理解をしてほしかった。『攻殻機動隊』という作品がね、どれだけ多くの人が賛同してくれる作品か、特に外部の人ですよ。制作費も集まり、それによって会社がどう運営されていくかということ。それが自分達の報酬になっているということ。石川さんは現場にそういうことをクドクドと強いない人ですけどね。」 

企画「エグザスケルトン」でチームがやろうとしたことは、全て「攻殻機動隊」という器にも入れられるものだから大丈夫だ。「騙されたと思ってこれをやろう。」神山さんはスタッフが納得して参加できるよう、説得に時間をかけて巻き込んでいった。 

「攻殻機動隊S.A.C」が動き出して2年、企画を進めていく過程で離れていくメンバーもあれば、新たに加わったメンバーもいる。今ファーストシーズンが終わった段階で、「I.G9スタ」(攻殻スタッフルーム)という新しい現場が形になってきたことは、「攻殻機動隊」を作り続けた結果の産物。神山さんがこの企画を提示された時に、監督個人にとっても、I.Gにとってもやるべきだと判断したことが結果を出始めたところだ。 

消化試合でノーヒットノーランを見せてやるよ

「攻殻機動隊」のTVシリーズ化に着手することは「負け戦」だと言われた。一つには「GHOST IN THE SHELL」劇場ヒット作との比較、もう一つは劇場作品「イノセンス」がI.Gで並行して制作されるという状況。当然力のあるスタッフが流れることになるし、やはりクオリティーを比較されることになる。周囲の助言、諫言、忠告の中、躊躇することなく監督に手を上げた当時の思いを聞いてみました。

「監督になると益々スケジュール管理能力が必要になりますが、演出を始めてから自分の時間管理で訓練してきたことはありますか?」
「特にないですね・・・ 
一つだけ気をつけていることは、『遅刻をしないようにする』こと」

堀川:みんなが言う「勝ち」っていうのは視聴率じゃないよね。世間で騒がれるってことなのかな。 

神山: 「僕にもさっぱり分からない。結局売上を宣言する監督もいなければ、視聴率の目標を掲げる監督もいない。つまりそういった評価に自分の身をさらす行為はしないわけじゃない。それをして勝ち負けをを言うってことは、たぶん自分が納得するものを作り上げられないんじゃないかと思っているんじゃないかな。」

自分がやりたいことって言うのは企画じゃないんです

堀川:納得するもの―攻殻では自分のやりたいことが入れられないってこと? 

神山: 「企画というのは僕は入れ物のことだと思うんですよ。自分がやりたいことって言うのは企画じゃないんです。それは誰にでもあるもの。企画には自分以外の人も参入してくるわけですから、誰もが乗れるものじゃないとだめなんです。これが作れるかどうかが企画が決まるということなんですよね。箱と中身を混同しちゃいけない。「負け戦」を唱える人は、箱まで自分でつくらなきゃ負けだと思っているか、自分が持っているものは(攻殻機動隊という)箱には入らないんだと思っているかだね。箱と中身を同時に発明できるような天才であればさ、それに越したことは無いと思うよ。」

僕は打席に立てることの方が重要であってね

神山: 「今回監督として打席に立ちたいとか、プロデューサーとして打席に立ちたいとか、キャラクターデザインとして打席に立つというチャンスは提示されたのだから、それだけでもやりたいことは叶っているわけですよ。攻殻ではそれができないというのは、僕にはその理由はわからない。全部自分でやりたいと思っているのか、あえてひどい言い方をすれば、本当はやりたいことがないんじゃない、というかね、僕は打席に立てることの方が重要であってね、毎回最終回のツーアウト満塁で自分が打席に立って、満塁ホームランを打つっていうシチュエーション以外打席に立たないよっていうかさ、勝てる試合にしか登板しないというよりは、消化試合だろうと登板してね、じゃあ、消化試合でノーヒットノーランを見せてやるよって言う気概だったかな。」

泣こうが喚こうが、右

「いつから帽子が好きになりましたか?」 
「さあ、いつだったかな? IG以前もかぶってはいたから・・・忘れました。」

堀川:作品を演出することが演出の仕事なら、現場を演出することがラインプロデューサーの仕事だと思うんです。今回の現場は、そういう意味で、神山さんは若い現場を引っ張っているようなところもあるでしょう? 演出ではなく、監督というポジションに立って3年間見渡してみて、単に「こういう作品を作りたいんだ」というものを超えてね、現場をプロデュースする、ということで狙ったことっていうのかな、見えてきたこと、仕掛けたものはどんなものでしょう? 

神山: 「一つ、これは監督をやってみて初めて判った部分ね、見えてきたことっていうと、リスクも伴うし、申し訳ないんだけれど、僕の意見は強要していくので従ってもらう、というね、かなり自分も体力がいる作業―そこに一番力点を置かなければいけないってことを痛感したことですね。これは監督をやるまで判らなかった。理屈では判っていても、監督をやってみて初めて判ったことですね。」 
「監督をやる以前は、そういうものに出会うと基本的には不快なんですよ、当然。みんな自我があるから。だけど、監督は指揮官だから。船が山に登らないようにするためには、泣こうが、喚こうが、『右』ってね。-しかも、『いや、左に行きたい』って人をねじ伏せてでも右にいかなきゃならないんですよ。ある時期からそういう人を見なくなった気がする。」

「居心地がいいスタジオは危機」 

神山: 「僕が業界に(美術で)入った時には、美術監督をやられていた方々は、当然そうだったですね。経営者だとか、美術監督だからということも当然あるんだけど、うん、聞いたことはないけど、あたりまえの職務としてそれをやっていたと思うんですよ。当然ペーペーだから逆らえない。自分のスキルが上がってくれば面白くないと思う時期も当然でてくる。それで、プロダクションを飛び出してフリーになるとか、自分で会社を設立するとか、まあ、そうやってこの業界は脈々と続いてきているんだと思うんですよ。薄情ですから、こういう世界はね。 
  でね、ある時期からそういう人を見なくなった気がするの。よく言えば、そういう『いや、そうじゃないんですよ』って言う人の力を寄せ集めて現場のエンジンにするのは見受けられるんだけど、それは破滅の一歩だって僕は思うんだよ。そういう人達にとってあまりに居心地がいいスタジオというのは危機だってね。もちろん、そういう人達を抑圧することがいいわけじゃないんだけど、絶対的な判断を下さなきゃいけない瞬間には、その人達が『いや、俺は左に行きたい、とか、後ろに行きたい』と言ったとしても、強制的に右に行かせなきゃならない瞬間が確実にあるんです。その選択を迫られたときには確実にそちらに行くということを曲げないこと。(攻殻では)その瞬間を、一応、逃げずに、やってきたという自負はあるんですよ。これは相当しんどい作業だったな、想像以上にね。それでも、やっぱりそれをやらなきゃいけないんだっていうのは、監督をやらない限り判らなかったことですね。」

「成功しない限り本当は左に行きたかった人達に、幸せを分け与えることは不可能なんですよ」 

神山:最終的には強制的に右に行かせたことが、全スタッフにとって幸せであるっていうね、この結論を導いてあげることがいかに重要であるかということが、監督をやってみて一番痛感した部分です。ただし、そればっかりやっているとスタッフもいやになっちゃう。だからね、あたかも自分が右に行く選択をしたかのように時には導いてあげるっていうね。石川さんなり、押井さんなり、僕を育ててくれた三名の美術監督はね、おそらくそういう選択を迫られたときに、黙ってそういうことをしてくれていたということが想像できるようになった。振り返って、心ある人が僕の周りにはまだいたなぁ、ということに気づけたことですかね。それは一演出では気づけなかったこと、監督をやって自分が一番わかったことだったのかもしれません。さらに、さらに言うと、成功しない限り、本当は左に行きたかった人達に、幸せを分け与えることは不可能なんですよ。」失敗したら責められるし、恨まれるだけなんですよね。しかも、成功すると、誰もそのことは覚えていないんだよ。」 

堀川:でも、どうなんだろう、監督について行ったスタッフからすると、「成功したら、これはみんな監督のものだよ」と思うからね。 

神山:「うーん、僕も以前はそう思ったけどね、あのねぇ、そんなにないよ。」(笑) 
「全スタッフが監督になれるわけじゃない。だからこそ、監督をやる人間は責任があるんだって思うんですよ。何らかの目標値を設定して、そこに到達する、させなきゃいけない義務があると思うんだよね。それ以外にたぶん、スタッフに報いる方法はないよ、と、思うな。」

神山さんを現場の中心に据える―そうすることで攻殻の現場は監督の求心力でグルグルと転がり始める。プロデューサーはそう思案したに違いない。「器」は力学だ。クリエイティブなセンスだけでは現場は前には進まない。僕は「人狼」を担当したとき、既に配置されていた各セクションの人選にずいぶん助けられた。「転がる」ように仕掛けはできているし、顔ぶれを見れば完成クオリティーの予想もつく。スタートの時点でファイナンスを除けば、プロデューサーの現場対策は7割終わっていた。今回の攻殻では神山さんを中心に、周りを若いスタッフで固めて動き出した。これは、プロデューサーが初監督に、現場の中心であることと、方向付けをすることと、転がす重責をまとめて託したように見えた。僕には。それに応えて松家ラインプロデューサーをはじめ、若い制作スタッフが現場の勢いを長期持続させていくよう―まずは自分が勢いよく転がり続けられるよう―演出することが求められるのでしょうね。

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