若いアニメーターのモチベーション
「スポットが全然当たらなくなっちゃった」
後藤:アニメーションで注目されるのは、今は作品か監督でしょ? アニメーターにスポットが全然当たらなくなっちゃったんだよね。昔に比べてもみんな上手いけど、カラーを出し切れていないって云うのがあるのかもしれない。でも、世界に通用するアニメーターもいっぱいいるわけでしょ? 雑誌でもね、どう云う媒体でもいいから、この作品のアニメーターは彼ですって紹介されることも少なくなった。昔は記者会見にアニメーターも同席していたけど、今は監督、原作者、声優、プロデューサーぐらいだったり。アニメーターが脚光を浴びる場が無くなったかな。やっぱりこういう仕事は目立ちたい、みんなに注目してもらいたいって云う気持ちが半分(笑)。自分をアピールする仕事だから。少しでも注目されれば仕事ももちろん来るだろうしね。アニメ雑誌も昔に比べると、アニメーターの特集は本当に注目されている人くらいだね。昔はけっこうアニメーターにね、スポットが当てられていたので、この人みたいになりたいんだとか、こう云うのが好きだから俺もアニメーターになろうっていうのがあった。そう云うのが少なくなったと思う。でも、みんな昔よりは上手いよね。俺等にスポットが当たってきた頃のアニメーター以上にみんな上手いのに。
堀川:先日吉原(*1)が、「アニメーターが花形でなくなった」と。それはエヴァンゲリオン以降監督のものになって、今はプロデューサに移っていると。そうすると、アニメーション業界を目指している若い人は、その嗅覚に長けていて、今後花形になる、脚光を浴びるところを目指して入ってきていると云う話をしていまいしたね。
後藤:うんうん。
*1:吉原正行 P.A.WORKS演出 攻殻S.A.Cも担当
「何か無いのかな、無いんだろうけど、何か無いかな」
後藤:専門学校に教えに行っても、アニメーターを希望する人が少なくなりましたって言っている。みんな食えないとか、厳しいとか、ずっとそう云うことを聞かされてきたから、アニメーターになろうって云う人が少なくなっているって。だからこそ、ちゃんと脚光を浴びせてやらないと、これからもっと少なくなるんじゃないかなって云う気がするよね。
堀川:アニメション業界内でアニメーターが脚光を浴びる時って、何か表現としてエポックなものが出ててきた時だと思うんです。金田流、中村流、湖川流、板野流(*1)。
後藤:うんうん
堀川:今はアニメートの新しい表現の余地が少なくなったのかなと考えているんです。若いアニメーターが目指せる斬新なアニメートの表現がね。『こう云う表現手法があるのか! 自分も真似して取り入れよう』って云うものを示してくれるものが出てこなくなった。80年代、90年代に出てきた手法を洗練して精度を上げるくらいしかない。上手いアニメーターに話しを聞いても、それですら、その精度を追求して行き着いた先にあるものを、もう劇場作品で発表してしまった。どうも僕らはこれ以上追及してもあの先には辿りつけそうにないって。それで、今はアニメートの手法について言えば、行き場を見失ってフラフラと停滞してる状態かもしれませんね。何人か「流派」と呼ばれるような表現を作り出せる人が新しく出てくれば、また脚光を浴びるのかなとは思っています。
後藤:そうだよね。昔I.Gでも、この作品ではこんな人たちが力を入れましたよって云うのが、ちゃんと表現されていたと思う。そう云うものが、何かの方法で、少しはアニメーターがスターになりえる方法が、何か無いのかな、無いんだろうけど、何か無いかな。
堀川:1つ思いついたのは、国内のアニメーターだけじゃなく、もっと世界にも目を向ける。いつも制約の多い商業アニメーションばかり作っているから、自分たちの可能性に対して視野が狭くなっちゃっているところはあると思うんです。
P.A.本社の前に400シートある「城端座」と云う立派な伝統演芸会館が出来たので、先日ここの大スクリーンプロジェクターで、「ベルヴィル・ランデブー」(*1)をみんなに見せたんです。ほとんどセリフがない。「老婦人とハト」同様ストーリーはブラック?ですが、アニメートの面白味がね、タイミングは日本の影響を受けていると思いますが、犬の作画がスバラシイ。みんな自分がこれと同じアニメーションの土俵にいることに驚いたようなんですよ。アニメートのこんな面白味もあるんだよ、と云うものを見せてやる、今はそう云う刺激が若いアニメーターに必要だと気づきました。
*1:金田伊功・なかむらたかし・湖川友謙・板野一郎
*2:シルヴァン・ショメ監督 以前日本では発売されていなかった「老婦人とハト」を薦められて、輸入業者を通じて10,000円で購入しました。リージョンコードが違うので、対応できるデッキも合わせて。ところが「ベルヴィル」のDVDに収録されていた(悲)。しかも、オマケ扱いか!(笑)
「ちょっと天狗になりながら」
堀川:後藤さんのスタンスのように、とにかく全力投球で、真摯な姿勢で作品に貢献することに意義を見出す。価値観を、自分がこの原画をやったことで、この作品の質がボトムアップするんだって云うところに持っていければいいんですけど。チームとしてやっていると云う感覚が1スタにはあるかもしれない、S.A.Cなら浅野君が作監の回を自分たちでバックアップして、いいものを作ろうって云うものがあったのかもしれないけれど、フリーのアニメーターが、じゃあ15カットなら、10カットなら手伝いますって言っても、自分が底上げしているという意識は持てないと思うんです。
後藤:うん。
堀川:でも、アニメーターってみんないい人たちだから、10カット、15カットを制作から頼み込まれて断れない人たちが多いので、仕事をいっぱい抱えて、作品を作っていると云う感覚がなくなっている。参加意識を持てない。それが一番の、今彼らが消耗していると感じる原因なんです。この関係をずっと続けることがお互いにとっていいことだとは思えないんです。でも、僕の情けないところは、彼らがそれを請けてくれているから作品を落とさずに持っているんだって云う目の前の矛盾した現実がありますよね。請けてくれる原画マンの人情で支えられている。いつまでもそれじゃ駄目だと。
後藤:確かにそうで、俺もそう云うときはあるよ。少しずつ会社のいろんな作品をやるときもあるけれど、そう云うときはモチベーションが高いかって云うと、高くは無いよね。立ち位置なのかな、と思うよ。作監でもないし、メインスタッフでもない。とりあえずカットをスケジュールどおりに上げて渡すって云う仕事になっちゃっているよね。
堀川:1本のテレビ放映中4分、5分のシーンをやったら、すごく見応えがあって、やったっていう達成感があると思うんですけど、15カット、1分にも満たないものだと、今日放映日だったんだで終わっちゃうかもしれない。
後藤:それね、今の現状が難しくしていると思うんだけど、十何年前と今とでは見る人の要求度合いが違っていたり、I.Gも劇場作品を作って、このくらいのクオリティーのものができるって云うのがあるわけじゃない? そうなると、アニメーターはここまでクオリティーを上げないと駄目だって云うところもあるわけ。昔は半パート(約150カット)とか、平気でやっていたんだよね。もちろんその頃はスピードも、パワーも、若さ故の、ああ、勘違いで、自分は上手いんだって云うイメージを持ちながら、ちょっと天狗になりながらやれた頃だった。下手な絵を描いても、これがいいんだよって思える若があったと思う。今の、特にI.Gの作品、攻殻やBLOODを半パートやれって言っても、これは出来ないよ。
堀川:出来ないです。
「これじゃ少ねーだろう!」
後藤:I.Gでは演出も原画が半パートできるようなコンテを切ることなんか考えていないわけでしょ? ここもうちょっとこうしたら簡単なんじゃないのって云うところもわざわざ難しくしていたり、意味の無いカットが入っていたりとか。昔のコンテ内容とは全然違っちゃっているよね。今のあれだと出来ないかなと俺もつくづく思う。
堀川:求められている品質は高くなっていますよね。確かにI.Gの作品で数をやるのは大変。でも、一人前の原画マンなら月50カットはやれるようにしたほうがいいんじゃないかと思うんですよね。
後藤:たぶん50カットやれる人間は作監クラスしかいない。本当にね、やって40カットかな。これじゃ少ねーだろうって思うんだけど、やっぱり無理なのか、I.Gの育て方が悪いのか、分からないね。
堀川:数的には20代半ばまでに伸ばしてやらなければならないので、ある程度レベルは目をつぶってでも、その段階で強引に60カットなりを体験させてやりたい。あとはその数を維持しつつ、少しずつレベルを上げていく。30歳になってからは数を伸ばすのはね、非常に厳しいものがあると思うんです。
後藤:P.Aは若い人しか入れていないの?
堀川:そうですね。25歳までです。
後藤:うちの矢萩とか窪田、大久保、浅野(*1)、みんな今30か、ちょっと過ぎたくらいなんだよね。矢萩とか窪田は25、26で入社したの。それから動画を3年くらい一生懸命やって、原画試験を受けて、いざ原画を始めようと思ったら攻殻だった(笑)。結構大変な作品をこなしてきたんだ。若い方がいいと単純に思うんだけど、若いやつ入れると根性なかったりとか。最初はこの年齢だと、彼らは30になったときに原画か、30過ぎないとアブラがのらないな、とも思っていたけど、今アブラがのってきているので、アニメーターになって良かったのかもしれないね。
*1:I.GのHP、スタジオ紹介によると
窪田康高 ’72・矢萩利幸 ’73・大久保徹 ’75・浅野恭司 ’75 生まれ
Production I.G 第1スタジオ所属
「本当に彼らのいいところは」
後藤:TVシリーズ1本の原画であれば、中にいるスタッフだけでできる。1スタなら1スタで1本、それがやっぱりベストだと思う。それが、やれ作監が少ないからってどんどん引っ張られていくと、1スタで1本できなくなる。これは詰まらなくなると思う。1スタで1本、「あんたの作監よかったよ」とか、「あそこの動きはこうしたほうがいいんじゃないの?」とか言いながらやっぱりやるのが楽しいんじゃないかな。「オマエ、ここお願いだからやってくれよ」、「分かった、じゃあ俺がここやるよ」って場所を決めたりね、そう云うのが楽しいんじゃないかなと俺は思う。
堀川:それが1スタは出来ていたのかなと思っていたけど、これだけラインが増えると、そうも言っていられなくなりますよね。それに対して後藤さんがどう考えているのかな、と思っていたんですが。
後藤:しょうがないのが半分。もちろん彼らが作監やりたいって云うのはすごく良くわかる。一度でもいいから作監やりたいと云う思いもあったろうし、以前ね、彼らも上手いから頼まれて作監やったんだけど、スケジュールの問題や、上がってくる原画がひどいものだったりすると、全く納得できるような仕事ができなかったんだ。そうやって上げたものでいい作品ができるかって云うのが、彼らは彼らでそのとき良く分かったんだ。それで、本当に彼らのいいところは、作品のクオリティー、I.Gにいるからにはクオリティーを保つ作品を作っていかなくてはいけないって、すごく思ってくれているのね。普通だったら、一度作監やったら次も作監って、どんどんやると思うんだけど、でも彼らが今回BLOODで下したのが、「いや、1本ちゃんとやろう」と。シリーズ後半にスケジュールが押して、どうしても作監が足りないって云う状況になったときは、その頃には慣れているだろうから、頼まれれば作監やるかもしれないけれど、今は1本ずつちゃんと、もちろん1スタで原画全部は抱えきれないので何人か加えて、大久保君作監で自分達が原画をやって1本作ると。すごく考えて方針を下した。俺が何か言った訳でもないのに。